Dear Friends

DF 41 形而上学、魔法のバス、懸賞

2006年4月

親愛なる友よ、

ここサンセット・ブルバードでは、テレビドラマ「『エリザベス1世』の広告の看板から、ヘレン・ミレンとジェレミー・アイアンズが僕の部屋を覗いている。

ジェレミーが覗けないようにカーテンを半分閉めて(すまん、あんたも男だから分かってくれ!)、ヘレンだけをアパートに招待する。着ているものを脱ぎ払いながら、レジナルド・ヒルの "The Stranger House" からの一節を朗読してくれる彼女。

「拷問、裁判、そして有罪の宣告。ボロボロになった身体を民衆の前にさらし、更にまだ息の絶えぬ状態で引きずり下ろし、内臓を引っ張り出しては犬のエサにやり、ついに死んだその残りの身体も小さい破片に刻まれた上で近くの河に捨てられるのだが、ただし首だけは例外。これは串刺しにされ、街で一番目立つ場所にさらされ、時間とカラスがその肉をつばみ、歯をむき出してニヤッと笑う骸骨と化すまでそのまま放っておかれる。」

「ええっ? ちょっとヘレン! 16世紀後期のイギリスのカトリック信者にそんな酷いことが行われたっていうのかい? それに比べたら最近アフガニスタンで見つかった背教者達へどういう罰を加えるべきかっていう現地の政府の案なんて実に平和なもんだよね。いや、こりゃいい事を聞いたもんだ。」

どうやらヘレンは僕の反応が真面目じゃないとムッとしたらしいが、幸い彼女もスタジオでの撮影が迫っているので、僕の首は無事なまま。ササッと服を着て、窓から飛ぶように出て行った。でもその前に、残された僕がブライアン・グリーンの「エレガントな宇宙」のページをめくりやすいようにと、ちゃんと指をなめていってくれた...

湖に大きな石を投げ
水底まで沈むのを見た
波は広がり
その間に石のことはみんな忘れてしまった
もちろん誰もが予測していたように
その波がこっちに向かって帰ってきた
その原点である石を探して
でもその「穴」はとっくに消えてしまい
湖の真ん中のどこか
深みのどこかにあるんだろうという以上、誰も知らない
その場所を探ろうと潜った奴は
溺れてもうあの世
彼にはもう時間は残されてない
未来なんて、もうバイバイだ
("Kiss Tomorrow Goodbye")

超ひも理論にあまり捕われすぎない限り、理論的物理学も問題なしだ。その点でもブライアン・グリーンは我々を無限への道へと案内したり、ちょっと離れた距離から全体をしっかり観察させてくれたりするのが、他の学者よりずっと上手い。特に嬉しいのは量子力学の専門科じゃなくてもこのツアーに参加できるということだ。


ある社会にとってはショッキングであり、また他の社会にとっては全く厭わしいとしか受け取られず、表現するのが困難な思想がある。タブー、特に人間の精神的な面に関わるタブーだ。もちろん太古の神が強力な道具として(例えば原始時代の医者が神の名を使って部族の人々をコントロールできると)認識されて以来ずっと、社会全体の慣習にそぐわない独創的もしくは異例の説を唱える者は異教徒、不信心者、カルト信者、もしくは単なる狂人として悪魔の使いのような扱いを受けてきた。ダーウィンがその偉大な論説の発表を20年遅らせたのもこのせいに違いない。16世紀当時イギリスのカトリック信者がみな英国国教会を恐れていたように、彼もその例外ではなかったが、ただし彼が恐れたのは自分の命ではなく自分の説に対する世評だった。この件についてはまだまだ書くことがあるが、マインド・ポリスが周りをうろついているようなので、止めておこう。

1580年代の暮らしがどうだったか、想像付くかい?

形而上学協会の最後の会合は、発足後それほど時間の経たない1880年5月16日に行われた。テニソンは「10年にもわたる大いに骨折る研究の結果、まだ誰一人として形而上学を定義することすら出来ていない」と愚痴り、ハクスリーは「あまりにも惚れ込みすぎた研究者達のお陰でこの分野は死んでしまった」と嘆き、ディーン・スタンリー(当時版ドナルド・R・ラムスフェルド)によると「みんな同じことを言おうとしていたのに、お互いそれが分からなかっただけ」だそうだ。

まあ委員会なんてそんなものだ。僕にはその意味は明白で、「生きるものは物理的世界を越えた次元で存在し、また存在し続ける」という事だ。この地球に居住する我々人類の存在は維持不可能だと分かった今、それでは我々の未来はどうなるのかって? 次の段階への移行だろう。環境に適応していくか、もしくは死に絶えるか、進化するか絶滅するかしかないのだから。毛虫が蝶に変身するように、ダーウィンの言葉そのまま、いや、ダーウィンですら想像もしなかった状況に達した現在、周りをしっかり見回し、角を曲がったその先に何が待ち受けているのか、ちゃんと考える時が来た。

ここ「切り揉みクロス教会」(僕のこめかみの間で生まれつつある集団だ[注1])では、先へ進む道を初めて発見した記念の祝祭中だ。どの道を選べばいいのかって? 一番チャレンジに満ちた、難しいけど面白い道だよ、もちろん。まず何と言っても空いているから。ただしこの道路では他でのルールは通用しない。形而上学協会にとって重力なんて意味がないように。

アリストテレス、ユークリッド、プトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタイン、そしてハブル。誰にも間違いはあった。聖書も人間が書いたものだから...いえ、冗談です、先生!!

光は何よりも速く移動すると証明したのはアインシュタインだっけ? うーん、限界まで拡張された状態の我々の精神についてのミステリーをちゃんと研究する機会があれば、人間の思考は星がキラッと一度光る間に遥かな銀河系までも届くのだと分かるだろう。思考は勘定に入らないというならもちろん別だけど。確かに彼の地に到着するなり、星雲の多くは既に死んで無くなってしまったのだと発見することだろう。光が地球まで届くにはかなり時間がかかったから、僕達が見ていたのは我々の大先祖の時代に輝いていた星雲だったんだ。すごい変だろ?

ユークリッドは並行する線の間の距離は常に同等であると、この世のみんなに信じさせようとした。実際僕も信者になりかけたのだが、無限を発見して改宗(特にその証明を疑った時に受けた体罰のお陰で:「でも先生、それはごく限られた範囲以外では不可能なことでは...」ビシッ、あっ、いてっ!)どっちみち8歳の頃から直線というものは1本でも信じられなかった僕には、2本の直線なんて問題外だったんだが。

いわゆるビッグ・バングの前には何も存在しなかったと主張したのはホーキングだっけ? それは絶対不可能! ビッグ・バングは、他の次元で起こった爆発からの漏出によって生じた泡だ。

形而上学協会はダーウィンと同じ苦悶を体験したのだろうか? 19世紀の風潮の中で、神の創造という以外に人間の起源について提唱すること(どころか考えること自体)とても難しかったことは確実だ。当時の学者にとって、その説を述べること、そしてこの世とは別の世界が、皆が信ずるところの「天国」以外にあるのではないかと論ずることが、いかに困難だったことか。今日の幼児虐待もしくは人種差別に匹敵する当時のタブーだったに違いない。

同時代の、哲学者であり教育者でもあったエドウィン・アボットの業績について彼らが知っていたのかどうかも気になる。彼の著書『二次元の世界 - 平面の国の不思議な物語』に登場する「球」は次元を超えた難問だ。全ての理解を超えた難問と言えるかもしれない。その教授法は素晴らしいものだ。まず分かりやすい物事(ここではそれぞれ別の次元に存在する直線3つ)を探し、その中の1つ(高さ)を取り除いてしまい、それを今度はひも理論の初期の形として再び導入してくれる。見ている人はみなビックリだ。その文章に埋め込まれた社会批評こそ、この著者の最なる才能だと、今日でも評価されている。重苦しい当時の階級制度を婉曲的に批判する一つの方法だったのだろうし、司祭をその頂上に置いた教会というシステムを例にとり、その教理を数学的に否定してみせたところなど、彼の言いたいのは物理を超えたところにあったのだろうと推測できる。目の前の建物の屋根の裏に何が隠れているのか、よく観察してごらんと教えるのは、当時のように社会制度が厳しくなければ、どんな親や教師にとっても当然のことだろう。

「角を曲がったちょっと先に何が待ち受けているかを考える」という概念を理解するのは現在でも難しいから、1870年代の当時「存在しないもの」を想像するのは危険な領域に属したに違いない。「自分がいったい何物であるか」を把握して(そんなのムリだって!)その上で「知識」とは環境に適応した判断を下すことだと理解できる人にとっては、人間の存在および知識についての哲学的研究も問題なかったんだろうけど。

僕の父はいつもハスがいつ到着するか知っていた。「1から5まで数えてごらん」と言われ、数えてみると、本当に魔法のように2階建てバスが角を曲がってやってくる。一度としてミスしたことはなかった。

「パパ、どうして分かるの?」

「大人になったら分かることだよ」と真剣な顔で答える父。

その後身長が10センチほど伸びて、僕にもその真実が理解できた。並ぶ家の屋根の上に、角を曲がろうとしている赤いバスの一番上の部分が見えるから、その全貌が現れるまでの時間はかなり正確に予測できるのだった。

だが、もし僕の知的および精神的成長がある年令で決定的に止まってしまったように、肉体的成長も止まっていたとしたら、僕はこの歳になっても「パパは超自然的パワーのある人だったんだ」と信じていたことだろうと考えると恐ろしい。

我々が神を頼りにするのは、背が伸びて大人にならなくても正しい答えが分かるようにということなのか?


我がイギリスが誇るお巡りさん達(現在では「警察」ではなく「ポリス・サービス」という名称です、よろしく皆さん)、そう、国民みんなが尊敬と愛情を込めて「青い制服の男達」と呼ぶあの警官達が、何とこれまでの「組織化人種差別」を捨て去り、単なるバカになったという証拠を以下に紹介しよう。これほど短かい間での変化の背景には、現在の警察の重役クラスは大学卒のキャリア組で占められており、そこには叩き上げの警官はほとんど見られないという事実がある。もう一つの要因は歴代の首相および内務大臣の職務怠慢のお陰で警察が政治的な論争の的となり、「警官はみんなブタだ」という極論派だけでなく、社会のあらゆる層の人間が警察に対する尊敬を失ったことにある。その場しのぎの法律や条例によって司法と行政の間のギャップが拡がったことも忘れてはならない。

まあ読んでみてくれ。

警察幹部委員会による手引き

憎悪犯罪の被害者が、警察は自分の言う事を信じてくれない、冷淡だと感じた場合、これはその個人を更に迫害するのに等しい。

こうした「もう一つの迫害」は、実際に警察官が冷淡であるかどうか、その主張にどれだけ耳を貸すか無視するかとは関係なく、警察官の対応がそうであると感じた場合に発生するものである。

そう感じるだけのちゃんとした理由があるかどうかは、その本人には関係ない。

そこでこうした犯罪の被害者が、警察によって更に迫害されたという意識を持たないように上手く対応するという重い責任はすべて警察官にのしかかってくる。

いや、この文章のバカさ加減を理解するには何度も読み返さないといけなかったよ。


過去30年の間にアフリカへ4500億ドルもの援助が行われたものの、アフリカの平均寿命もGNPも、30年前より更に低い状態だ。上の文章の最後の段落がいかにバカバカしいか、もう一度読んでみてくれ。

コフィー・アナンは威厳がありスピーチも上手いジェントルマンで、とても尊敬できる。あの下品なブリッツァー[注2] とのインタビューで、その怒りを隠さなかった人物だ。(CNNもどうせ下らないジャーナリストを使うなら、ティム・セバスチャン[注3] を雇うべきだ。ウォルフよりは好感度が高いし、リサーチもちゃんとしていて、何より毒があっていい。)

その点ウォルフの方はどこが狼なんだ? 去勢されたスパニエル犬と言った方がピッタリだぞ。 国連がもっと積極的に取り組むべき問題のいくつかがあったとぬかし(つまりそれを放っておいたから、仕方なくアメリカが行動を起こすしかなかったと暗示し)やがった。

こめかみに筋を立て、拳はグッと握りながらも、我らのコフィーはものすごい忍耐と礼儀を見せ、国連はその加盟諸国が望むだけの力しか持てないのだと説明してくれる。特にこの問題自体かなり疑問の余地があり、各国とも本当のところ自国の得しか考えてないんだということも付け加えてくれれば最高だったんだが。

最近スーダン西部ダルフールで行われた虐殺の後、国連側がスーダン政府に対して何らかの処置を取るべきだという案に対して中国は関わりたくないという態度を見せたのは、加盟している各国が私的な利益のために拒否権を乱用した典型的な例(そうやって数えだせばいくらでもあるのだが、その一例)として挙げられる。さて、急成長中のスーダンの油田開発に一番多額の投資をしているのはどの国でしょうか? 答えはもしかして中国かな? (質問するだけバカだ、ごめんなさい。どうぞお尻ペンペンして下さい。)


さて新たなる懸賞の時間だ。以下の質問のどちらでも(もしくは両方でも)答えを送ってくれ。

A)預言者とは何か?

B)福音書にある真理(絶対の真理)とは何か?

もっとも興味深い・面白いレスを送ってくれた人にはいつもの賞品をお贈りする。(ルールもいつもの通り)1.

Cheers,

Ian Gillan

Copyright © Ian Gillan 2006

あ、ところで(すっかり忘れてた)、新アルバム出たところだ。2

1「いつもの」 っていったい何なんだ? と言う人も多いだろうけど、僕に聞かないで下さい。僕も読者のみなさんと同じぐらい現実が把握できてないので。(編集者より)

2これは本当です(Caramba! 情報認定サービス部より)

訳者注:
[1] 「こめかみ」は英語でtemple、教会・寺院と同じ言葉であることにかけた遊び
[2] CNNの看板キャスター、Wolf Blitzer のこと
[3] BBCワールドの時事番組「ハード・トーク」のキャスター

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