Dear Friends

DF 38 Rapture、闘争、天体物理学、そして懸賞

2005年7月

親愛なる友よ、

Every day of my life I discover
Someone murdering my sisters and brothers
In the name of some god or another
What do you know?

これはディープ.パープルのニューアルバム "Rapture of the Deep" に収録されている "Before Time Began" という曲のブリッジの部分の歌詞だ。

敵対する軍隊の兵隊たちが「神は我々の側についている」と主張するのは珍しいことではない。その兵隊たち、そして更に重要なのはその上に立つ指揮官たちは、同時に「この世界に神はただ一つ」と宣言するだろう。

まことに「ごもっとも」な意見だが、矛盾的かつ都合のいいこんな言葉に、僕はどうしても納得することができない。

精神的なレベルで健康を保つために、僕にとっては目的意識、そして帰属意識という2つのことが必要だ。他の人もみんなそうなのかどうか、人間というものは複雑で完全に理解するのは難しいので、僕には何とも言えない。

60年前に終結した第二次世界大戦以来、我々は悪夢のような、組織化された暴力をありとあらゆる形で目撃してきた。民族浄化、聖なる戦い、部族間の大虐殺、自爆テロ、殺戮の卸売り、ピュロスの勝利 [注: 非常な犠牲を払って得た、引き合わない勝利]、宗派間の暴力的行為、制度化された拷問、代々続いたお陰で元々の発端を誰も覚えていない根深い血の復讐、人種間の憎悪。冷戦ですら「破壊に関する相互の理解」(自動的に核兵器が作動するように仕組まれたシステムをもの柔らかく表現した言葉。人類がこの世界から消えた後も、残された物を全てこっぱ微塵に破壊するという計画だったようだ。なんてアホくさいアイディアだ!?)という余りにもバカげた脅威を生み出した。

そのどれもがファシズム、共産主義、民主主義、強欲、宗教(数限り無い小分けを含む)、その他「俺も!俺も!」と競い合う各種イデオロギーの名の下に行われた行為だ。どの組織も正義の味方を気取り、駆り立てるのは熱狂者、独裁者、軍司令官、原理主義者、官僚、誇大妄想患者その他だ。

そしてもちろん、母国を「失った」上、他の誰からも愛してもらえない人々の生存の問題がある。難民と呼ばれる人々だ。

我々が遠くから送ることができるのはテント、募金、医薬品、食糧、そしてあわれみと同情。発送された時点と同じ状態でちゃんと目的地まで届くのはテントだけだという印象を受けるのは僕だけか?

だが難民たちは単にこの限り無く続く闘争の副産物なのか、それとも人類の進化と関係があるのだろうか? チャールズ・ダーウィン(教会の圧力を恐れ、その論文の発表を諦めかけていた学者だ)の説に関して、人々がまず思い浮かべるのは「適者生存」という言葉だろう。ということは我々は自らの優性を証明するために、お互いを殺し合わなくてはならないのだろうか? (ちょっと信じ難いが)もしそうだとしたら、知性のレベルでの主権に関してはどうなんだろう? 

我々人類は頭脳のおかげでここまで進化できたが、その歩みは常にコンスタントな速度だったわけではない。そして現在、この混み合った世界で我々は、周りの邪魔にならないように上手く動く場所もなく、これまでにも増してお互いの感性や習慣を踏みにじるしかない。こんな状況でも1人1人の個人には自分が何かの一部であるという意識と、生きていくための理由が必要だ。だがその「何か」、その「理由」こそ、我々を戦争へと駆り立て、邪魔する者を殺したいほど憎ませる。つまり思想の多様化ですら、争いを生み出す土壌になるということだろう。

イギリスの社会をよく観察してみるといい。我々国民をもっと細かい地域別に分類したがる連中(我々が誰であり、これまでどんなことをしてきたのかなんて忘れてしまうべきだと考えるねじまがった政治観の奴ら。それによって自分達の意見をもっと優勢なものにしようという目論みだ)は「イングランド」という国名自体にすら眉をひそめる。北部と南部の差や、階級制度は誰もが知ってるし、諷刺のネタとしてよく使われてきた。だが今度は首都圏住民がその影響を郊外の住民(長いこと嘲りの対象になってきた人々だ。僕もその1人だったからよく知っている)よりさらに先まで延ばし始め、これまで田舎風の生活スタイルが変わらず残ってきた田園地方にまで届くようになった。田舎の人間が都会は臭いし人間も態度が悪いからと、都会に出かけるのを嫌うのと同じく(ちゃんとした博物館を見たければ都会までいかないといけない)、シティ・ボーイ達も田舎は臭いし人間も態度が悪いからと、イングランド中部に出向き(休暇を自然の中で過ごすために)、そこで見るもの全てを嫌がる。

この原理でさらにご近所さん、家族、そして最終的には自分自身と、自分の内部の混乱や矛盾へと、分割を続けることができる。どちらの方向に向かうにしても、更にもっと先まで突き詰めることが可能だろうが、要点は以下の通り。

我々の存在に、これまで静止の状態は一瞬たりともなかった。何かしら、誰かしらが優勢を誇るものだから、歴史教科書にどんなことが書かれているかを読んで驚くことはないだろう。

直立猿人として2本の足で立って以来、我々はうまくやってきた。戦争、飢饉、病気といった要素がその人口を制御してくれたおかげだろう。だがこうした選り分け制度も、自然がもたらすその他の選抜制度も、これから先はそう上手くいかないだろう。現在の(どうやら累乗的な)スピードで人口が増え続ければ、その数がちゃんとした科学用語で言うところの臨界質量もしくは終端速度に達するのはそれほど遠い先のことではないだろう。

が、人類にとって生存は重要なことだ。何を学べば我々は一時的にでもそのスピードを抑えたり、逆行することができるのだろう。残念ながら不可能だと思う。少なくとも我々に残された時間の中では無理だ。自然資源を使い尽くしてもなお、ウサギのように(ダチョウのようにと言った方が適切か?)繁殖し続けるのが人間だ。今後の予想人口を読んでみれば、ぞっとすること間違いなしだ。

でもそんなの僕には直接関係ないじゃないか!

いや、実は僕にも関係のあることだ。僕には持って生まれた権利があるから、十分関係のあることだ。子供の頃から僕にとって未来とは自分の中のとてもとても深い部分に関わる重要なものであり、だからそれについて具体的な質問を思い付くなんて、ましてやそれに対する答えを想定するなんて、とてもじゃないができなかった。だがその後発見したように、時には質問より答えの方が先にやってくるようだ。

ある日突然気が付いた。

僕のこの人生は僕1人のものでなく、近しい家族や友達の何人かが僕と一緒に進んでいる。その人達が僕に大きな影響を与えたからなのか、その人格に深い感銘を受けたので、その一部を拝借することにしたのか、一体どうして始まったのかは分からない。分かっているのは僕とその人達の間に強い絆が生まれ、その絆が僕の意識の中にハッキリと存在するということだけだ。それは例えば僕の父が死んだ時の僕の気持ち(Wordography セクションの Gunga Din を参照)よりも強いものだ。死体保管所で父の額にキスをした直後、父の魂が僕の中に入ってくるのを感じたのに、その前夜、父が路辺の車の中でたった1人で死んだ時、どうして何の知らせも感じなかったのか、その時はどうしても分からなかった。

キスという象徴的行為により、その状況を結晶させ、その過程を動き出させることが必要だったからだ。それ以来は人生を見る目が変わり、僕達は知りもしない先祖たちが、世代から世代へと自らの一部を残し、その1人1人がその蓄積された人格に少しずつだが大切な破片を足していったその過程を、驚異をもって考えるようになった。果たして本能は世代をまたぐ人間の遺伝の一部なのか、それとも全く別のものなのかが問題だ。

そうやって今も続くこの連鎖。いったいどこで終わるのか?

我々は未知のものを研究するのには多くの時間を費やす一方、慣れきったことは「当たりまえ」として、あまり深く研究しない傾向がある。戦場で兵士が死ぬその瞬間、遠く離れたお母さんが胸をグッと掴むのは何故だろうか? あなたの考えてることが分かるのは何故? 危険を感じるとはどういう仕組みなんだろう? 予感や前兆を感じるのは、正解の確率を考えるとちっとも不思議じゃないことなのだろうか?

こういったことに関して僕達はなんと無知で、建設的な議論をする機会の少ないことだろうか。

「心霊学者」というとニセの霊感者や怪しい宗教団体を思い浮かべる人が多い。僕にとっては素晴らしく複雑な人間の魂について考えることは宗教の教えと同じ分野だと思えるのだが、個人がそれぞれ勝手に考えるのは何千年にわたって常に「悪魔の所業」として厳しく禁じられてきた。

僕の知る限り、脳手術もしくは心臓手術の最中、メスを片手に「やったぞ! 人間の魂をついに発見した!」と叫んだ外科医はこれまでに1人もいない。魂を発見したのは大昔の宗教主導者たちで、以来魂についての僕達の興味や好奇心は押さえ付けられ、他のことへと反らされてきた。

僕の一部(その比率はこの仮説を合理的に解釈している内に増してきた)は人間が形而上的存在へと変化する可能性と実態を探究し続けている。我々が「肉体」と呼ぶこの変なものから抜け出し、知覚を持ったエネルギーと化すところを想像してみる。毛虫は飛ぶことができないから、蝶へと変身するのと同じように。

しばらくは住み慣れたホームベースの周りをうろうろ舞っているかもしれないが、飛ぶことに慣れたら新しい芝生を見つけに飛び立つだろう。

それ以外の方法でこの宇宙を旅するだけの時間は僕達にはもう残されていない。確かにちっぽけな金属の乗り物(宇宙船)は段々遠くへ飛ぶようになってはいるが、その進化は遅すぎる。

だが僕は自分の意識を一瞬の内に遠く離れた星雲まで飛ばすことができる。

ほら、光よりも速く飛ぶことは可能だったんだ。ただし重い荷物は捨てなきゃいけない。

また違う方向に目を向けて「理論的」物理学者たちの語るのに耳を傾けてみると、ビッグ・バングその他、この宇宙が創造される以前には何も存在しなかったという興味深い「事実」を聞くことができる。無限そして永久の本当の意味を理解できた上で、全てのものの起源を考えてみれば、僕はきっとそれ以前にも何かが存在したのだという結論に達するはずだ。

我々の宇宙を有限のものとして捉えるのは「地球は平らだ」というのと同じようなことだ。無限とは永遠を意味し、それは地球に向かって伸びる平行線といったもの(もしくは、実用的な例で言うと「このページの最後まで」とか「我々の知る限りとそのちょっと先まで」しか続かない平行線)とは全く違う。(平行線なんてものはそもそも存在しない。)

我々の宇宙は単独の現象ではないというのは明らかだと思う。

我々が肉体から離脱して、新しい共通の目的を持って動く光となったとしたら、これから先への旅の途中、新しい精神共同体としてお互い対話ができるのか、それとも優性を競い合う闘争はやはり続き、つまらない口論や殺人が絶えないのだろうか?

それが人間の性分なのかもしれない。

2005年7月14日付・タイムズ紙より

(イギリスで)新しく実施されるライブ音楽に関する法律の下、認可書なしにバーにピアノを設置したり、メンバーズクラブの奥部屋でミュージシャンにギターをつまびかせることは今後刑事犯罪として罰せられる。

2005年11月に導入が予定されているこの事前許可制法は「ライブ音楽を有罪化するもの」としてミュージシャン側から抗議を受けている。この法律に背いた場合の刑罰は最高2万ポンド(約400万円)の罰金および6ヶ月以内の実刑となる。

M25(ロンドンを取り巻く環状道路)の内側では2006年1月から路上で歌を歌うことも禁止される。口笛を吹くことも刑法に背く行為となり、これは1990年まで遡及して適用される。現在は引退している郵便配達職員が既に数人逮捕され、裁判を待つ身となった。

クロウタドリ、ツグミ、ウグイスも歌うことを禁じられるが、これは交尾期に限り区役所のプチ・ヒットラーに申請の上、鳴き声許可証を発行してもらえば特別に許される。それ以外の鳥は今後常時沈黙を保たなくてはならない。ただしフクロウは日が暮れた後1時間のみホーホー鳴くことを許される。キツツキが木をつつく事は厳重に禁止される。

3歳から91歳の国民はみな週1度ダンスをすることが義務付けられ、これは正式な許可を受けた会場で、10人以上のグループにより音楽なしで行わなければならない。1人で勝手に怪しい動きをする人間を見つけたら最寄りの区役所内のDOA(Dance Observation Authority = ダンス監視局)に通報せねばならない。これに背いた者はダンス共謀の罪で起訴される。裁判で有罪となった場合は手枷・足枷を用いてリサイクル用コンテナに拘束される。その期間は指定されていないが、地方自治体がリサイクル用コンテナのゴミを回収するのは6ヶ月に1度が平均なので、その間拘束されたままでいなくてはならない。

さて、以上5段落の内、信じ難いのはどの部分でしょうか?

この質問(および上記のどの点についてでも)に対する一番いい答えを送ってくれた人3名には、それぞれ "Rapture of the Deep"(サイン入り)とパープルのコンサートのチケットとバックステージパス2枚を贈呈する。ルールはいつもの通り。

Cheers,
Ian Gillan

Copyright © Ian Gillan 2005

return to DF index
 に戻る