Dear Friends

DF 37 ポーランド、Gillan's Inn、そしてその中間のもろもろ

2005年4月

親愛なる友よ、

年末年始は家族と共にポーランドの友人、トミー・ズイビンスキー宅に招かれた。1日目はクラコウで岩塩坑跡や、城や聖堂を見て回り、ユダヤ人地区にあるシンドラーのカフェでランチ。その後はチェコとの国境近くの山の中のヴィスワで5日間過ごした。

雪を踏みながら山でハイキング。ウォッカに酔った勢いで、そりで爆走(大晦日の晩、月の光の下、川に沿って、ジングルベルのリズムに合わせて狂ったように走った)。バーベキューを堪能し、キャンプファイアの上を飛び越え、その後は家までまたクレイジーなドライブ。酔っぱらった走者の馬を操る手さばきはかなり怪しかったものの、酒の入ったその歌声は実に見事なもの。居眠りしてそりの後部から落ちた奴も1人いた。零下何度の寒さだったから、毛布をシェアしていた誰かが「あれ? 急に寒くなったな?」と気付かなければ、その命は1時間ももたなかっただろう。

その後も数日数晩にわたり同じような騒ぎが続いた。納屋で暖めたビールを飲み、森の中に住む「お隣さん」を尋ね、ポーランド風すいとんをご馳走になり、また家まで歩いて帰り、トミーの質素な4階建て・6寝室付き丸太小屋(というよりシャトーと言った方が相応しいが)でパーティーを続ける。

サウナから上がり、燃える薪の明かりに照らされたバーで裸で座り、実に親切な主人(マドリッド以北で最も立派な金玉の持ち主)と、ツアー中のエピソードを語り合う。

ポーランドで過ごす新年、これに勝るものはない。

僕は見たことのない映画(「十二戒」というタイトルか?)に関連した話題で、もし19歳のヒットラーに出会い、彼がこの後どんな事をしでかすか分かっていた上で、弾の入ったピストルがポケットにある、といったようなチャンスがあったとしたら、僕なら彼を撃つかどうか、娘グレースに聞かれた。

僕の答えはいや、撃たない。何故ならそれはグレースや僕を殺すのと同じことになるからだ。僕がヒットラーを殺していれば戦争は起こらなかっただろうし、平時ならスコットラン人の父も軍隊に加わることはなく、そうすればイギリス人である僕の母に出会うこともなかっただろう。

僕も生まれてなかっただろうし、グレースも同じだ。

短期的には大したことじゃないかもしれないが、断言はできない。カオス論の核心はここにある。

僕が若きヒットラーの頭に銃弾を撃ちこんでいれば、その後彼がどんなことを計画していたか知る人はみな、狂犬を殺すのはいいことだと言うだろう。

だが彼の凶悪な行為のほとんどは、若い頃から考えていたことではなく、その悪魔のようなお腹の中で、鈍い痛みを放っておくとだんだん化膿していくように、少しずつ悪化していったんだろう。ムッソリーニやチャウセスクの姿も目に浮かぶ...臓物をはみ出させながら逆さ吊りになったその姿が...おっと、それはもっと後の話だった。

いや、この冬2度めの、今度はもっと長い家族旅行で滞在したコスタリカでは、ヒットラーとカオス論の話ばかりしてた訳じゃない。大平洋沿岸のプンタ・イスリータで過ごした3週間はまさに極楽だった。まず最初の晩からビックリ仰天大騒ぎ。ちょっと、あれ何? 何? うわあああああああっ!!! ただのトカゲだったと翌日判明。訪れてみてまず驚異と敬意に満たされた我らだが、滞在中に少しずつ周りの生物たちにも慣れ親しむことができた。

まだ文明に荒らされていないこの地では、僕達にとっては珍しい動物が普通にたくさん生息している。ここには高層建築のホテルもないし、ディスコもジェットスキー乗り場もない。代わりにホエザルやコノハムシ、ハチドリやコンドル、リスやオウムやクモがおり、色んな昆虫にも身体中を這われたが、ほとんどは害のない種だった。どこを向いてもトカゲやヘビ、猛毒を持つアカエイや「トゲトゲノルマン人」(イソギンチャクの通称だ)がいっぱい。ワニは見かけなかったが、見たという人には会った。

ある謎の生物をおびきよせようと、グレースが果物を垣根の合間に置いてみたところ成功し大いに興奮したところ、後になってそれはどこにでもいる有袋動物の一種、オポッサムだと言われた。汚いTシャツにボロサンダル姿のその男はこちらを向いて、かじったリンゴでいっぱいの口で気軽に挨拶を言いつつ、その腐敗した残骸をこれまた汚い袋に詰め込んだ。確かに「どこにでもいる」有袋動物だ。

ラジオのローカル局でシネイド・オコナーの "Nothing Compares 2U" がしょっちゅうかかっていたのは、近々起こる災害への警告だったのかもしれない。かかる度にみんな逃げ回っていたが、何も起こらず安心してまた戻ってくると、まもなくまた恐怖が襲ってくるということのくり返し。あのオランダ・アルプスより平坦な声でどうやって村民会館でのオーディションに受かってデビューできたのか、僕にとってはまったくの謎だ。(オランダ・アルプスに関しては僕はちょっとしたオーソリティだ。何しろ毎年スキーに行ってるからね、いつも7月の第1週に。)

最初の頃は冷凍庫のウォッカが凍ってしまった。滅多に起こらないことだ。コーヒーも凍り、アイスクリームはバニラ味の花崗岩状態。温度設定を変えようとしたが、そのスイッチも凍ってしまって動かない。そこでみんなで代わりばんこに息を吹きかけることしばし、やっと何とかなった。

ある日カヌーを漕いでいるとペリカンの群れが頭上を飛んで行くので、舟の上で寝そべって観察することに。痩せたV字形の鳥たちの飛行にはこの目で見ながらも信じ難いものがある。1日中食べてばかりの連中が、いったん空に飛び立つとこんなに優雅な姿になるとは想像できない人が多いだろう。その飛行技術もまた目を見張らせるもので、波の6〜7メートル上を飛びながら標的を見つけ、翼を折りたたんで顔から先に、まるで石のような勢いで浅い水に突っ込む。宙に浮いた足やら、周りに飛び散る羽やら、すごく可笑しい光景だ。

ある晩夕食の前にシャワーを浴びていたのだが、水勢に巻き込まれてしまった地元のクモに敬意を払って、泡だらけの髪のままシャワーから出て洗面台でシャンプーを洗い流した。俺いったい何してるんだ?と考えながら。可哀想な8本足の野郎が死んでたまるかと必死に闘っている横で、どうか助かってくれと祈りながら、タイル貼りの床にひざまずいているびしょ濡れの俺...なんて光景だ。その足が動き、身体をブルブルッと震わせるのを見て希望を持ち、風呂場を去った。トンボにまつわる過去の体験から、何でも運命に任せるのが一番だと学んだのだった。

翌日メイドが風呂場をきれいに掃除し、ジェフの姿はどこにも見当たらなかった。上手く避難して下水管を通ってクモの世界の迷路で待つ愛する家族の元に戻れたことを祈る。

乗馬もしたし、森の中で木から木へと飛び移ったのも素晴らしい体験だった。いつかまた訪れたい場所だ。

休暇中の読書リスト:

ビル・ブライソン "A Short History of Nearly Everything"
アンブローズ・ビアス短編集(完全版)
J.G.バラード "Millennium People"
フィリップ・プルマン「ライラの冒険シリーズ(三部作)」(僕の友人セーラ・クロスが教えてくれ、みんなで漁るように読んだ)
マーク・ハッドン「夜中に犬に起こった奇妙な事件」
トム・シャープ "Wilt in Nowhere"
ハンター・S・トンプソン「ラスベガス・71」(あの世で安らかに眠ってくれと書こうとしたが、多分全然静かに眠ってないだろうし、 周りの住民たちも安眠を妨げられてるに違いない。僕も早く行ってぜひ彼に会ってみたいよ。)
ビル・ヒックス "Love All The People"
ルパート・シェルドレイク "The Sense of Being Stared At"

サンホセで家族と別れ、1人で向かったのは北極...いや、トロントに着陸した時本当にそんな気がしたし、その時点ではまだ数時間後に到着予定のニューヨーク州バッファローは更にもっと寒いとは知らなかった。友人R.ブルースの警告通り、ピース・ブリッジの南側に達するやいなや、乳首が凍って地面に落ち、こなごなに割れてしまった。

今回の旅の目的は僕の新アルバム "Gillan's Inn" の制作にとりかかるためだ。どの曲をレコーディングするか、プロデューサーは誰か、どのミュージシャンにゲストとして参加してもらうか等、まず最初の選択は既に決まっていた。1965年11月5日にエピソード・シックスの一員として生まれて始めてのレコード契約をパイ・レコードと交わして以来かなりの数の曲をレコーディングしたし、作曲したのは300曲にものぼる。

8月の僕の誕生日あたりに、活動40周年(実はそれよりちょっと長いんだが)を記念して何かやればと提案したのは我がマネージャーのフィル・バンフィールド。

そこからアイディアが発展し、これまでのレパートリーから何曲か選んでみた。まず最初はジャヴリンズの1962年の曲。このバンドではスタジオレコーディングは行ったことがないから、ここでやらないと。(少なくともしばらくはそんな機会はないだろう。)という訳で当時よく演っていたマーヴィン・ゲイの曲 "Can I Get a Witness" を選択。

エピソード・シックス時代からはよくライブで演っていたディランの曲 "I'll be your baby tonight" を選んだ。.

その後は69年以降に作曲もしくは共作した曲へと移る。

プロジェクトのタイトルは、自宅のビリヤードルーム、ピアノの上にかかっている(時々ツアーにも持っていく)パブの看板にちなんで Gillan's Inn (ギラン亭)に決めた。

ニューヨーク州バッファロー在住の友人マイケル・ジャクソン(フルネームはマイケル・リー・ジャクソン、MLJ)に電話して、クリエイティブ・マネージャーとしてプロジェクトに参加してもらうことにした。バンジョーを弾かせてもすごい奴で、これがまたちょっとしたボーナスとなったのは、アルバムが発売されたらみんなにも分かるだろう。トロント(厳密に言うとミシソーガ)のメタル・ワークス・スタジオおよび僕達が "Nipple Farm" (乳首牧場・笑)と呼んでいるバッファローのスタジオでのベーシックトラックの録音に向け、マイケルと何人かの素晴らしいミュージシャンがリハーサルを行った。あの1週間、夜遅く僕が見た幻影は「ワイルド&クレイジー」なんて言葉じゃ形容しきれないものだった。音楽のせいか、ブリザードのせいか、それとも僕の寝室の狭さのせいだったのかは不明だ。

3つある僕の分身(パパ・G、リビドー・ギャラクティカ、そしてガース・ロケット)が前面に出てきて精神の3Pを組み出したようで、それは抵抗を許さないパワーを持つものだった(抵抗する理由も何もなかったし)。

バッファロー滞在中、親切でフレンドリーな人達に色々会うことができた。行きつけのパブもできた。何軒かできたのだが、特に仕事の後毎晩行った店が一軒。「オールド・ピンク」(由来は聞かないでくれ)というその店では、毎晩遅くまでいい音楽といい仲間と美味しいビールを楽しんだものだ。いい店に必要な要素を全て兼ね備えたこの店こそ、僕にとっての「ギラン亭」のイメージだ。インスピレーションと素晴らしい写真を提供してくれたボブ・マッセルの名前もここで挙げておかなくては。 他にもこういうプロジェクトをスムーズに行うには欠かせないスキルを色々持ち合わせていて、助かった。.

国境を越え、フォート・エリーまでバレー(!!)[注1]を観に行くことも1〜2度あった。

さて当サイトに "Gillan's Inn" に関してのセクションが新しく出来たのに気付いた人もいるだろう。今後も常時更新していく予定だ。

次に立ち寄ったのはイギリスの田園風景のど真ん中、サリー州のファーナム近辺にあるジェイコブス・スタジオ。1週間ほど借りて、レコーディングのスケジュールをこなした。参加したミュージシャン全員がちゃんと予定通りの時刻に現れたし、ほぼ全員が予定通りの日に現れたのにはビックリした。

何人もの友人たちが僕のアルバムのためにわざわざやって来てくれて、ワクワクすると共にとても光栄だ。ヤニック・ガース、スティーヴ・モリス、ドン・エイリー、ディーン・ハワード、クリフ・ベネット、マイケル・リー、イアン・ペイス、ロジャー・グローヴァー、ジョン・ロード。そうそう、パブで会った奴も。

ニック・ブラゴーナ(プロデューサー、"Accidentally on Purpose" や "Perfect Strangers" も手掛けた人物。詳しくはフロントページに戻って "Gillan's Inn" のページを覗いてみてくれ)とMLJと僕の3人で、近所のパブでビールを飲みながら軽い食事をしていたところ、バイオリンがジミヘンのような演奏を始めるのが聞こえてきた。バーの片隅で Kindered Spirit という二人組が演奏していたのだ。フォークとロックがミックスした面白い音楽だった。その彼の名前がシム・ジョーンズで、オーケストラのリーダーで教師、そして並外れたバイオリニストでもある人物だ。一緒にスタジオにきて "Smoke" で弾いてみないかと MLJ が誘ったところ、話に乗ってきた。その結果はその内みんなにも聴いてもらえるだろう。ラッキーな事に彼は車も持っており、イースターだったので11時半までタクシーの予約がいっぱいと言われて困っていた僕達をスタジオまで乗せて帰ってくれた。感謝してるよ、シム。

セッション中スティーヴ・モリスが指を切ってしまったのを発見。"Smoke" のレコーディング中、血でベットリのギターネックを僕が見てるのに気付いた彼は平然とした口調で「あんたのために血を流してやってるんだよ、イアン」とのたまった。1週間ほど後、電話で「ギターに付いた血、ちゃんと取れたかい?」と聞いたところ、「上からニスを3回も塗ったから、永遠に残るよ!」との答えだった。

その後トロントのメタル・ワークスでジェフ・ヒーリーとの "Blind Man" および "Smoke"("Smoke" にはゲストのほぼ全員が参加している)のレコーディングでは、その場に居合わせた全員がこれは実に特別な瞬間を目撃しているのだと気付き、身震いさせられた。ジョン・ロードのパートは既にイギリスで録音が済んでおり、ここではそれにギターが加わり、その魔法が完全なものと化す場面を我らがこの耳で聴くことができた。ジョンとジェフ共演はとても感動的で、この2人に同じ曲に参加してもらう案を最初に考えた時点で想像したものをはるかに凌ぐ夢の演奏となった。

2テイク録ったところで、全員がオッケーという表情を顔に浮かべ、僕の口から「ジェフ、最高だよ」といった言葉が出たのを覚えている。

「ありがとう」と言った後、少し間をおいて「でも僕自身そう思ったら言うから」と追加。彼の言う通り、その次のテイクで完璧なソロを録ることができた。

ニックとマイケルにはこの後もまだアメリカで数セッション(ジョー・サトリアーニとロニー・ジェイムス・ディオ)が残されており、参加してくれることになっているその他のゲストの番も待っているところだ(プレッシャーかけてるつもりじゃないのでご心配なく。)

現在はロスにいて、パープルのみんなと新しいアルバムの作業にとりかかるところだ。洗濯はどこでできるのか調べたり、冷蔵庫に軽食用の食料を蓄えたりしつつ、仲間といつもの様に下らないお喋りをしている。

新しいプロジェクトに取りかかるのはいつでも気持ちのいいことだし、パープルの仲間とまたスタジオに集まれて楽しい。

さてさてバカ官僚...そう、忘れてはいないよ。

オンタリオ州ミシソーガのメタル・ワークス・スタジオで "Gillan's Inn" のベーシックトラックを録音中、近所のボブ・ロブスロー(冗談)というスーパーマーケットまでおやつを買い出しにでかけた。

とても美味しそうなブラジルナッツを見つけ、こんなの今やEUでは違法で手に入らないものだと、ついコメント。

「なんで?」とニック・ブラゴーナ。
「当局が言うには、殻に毒性成分が含まれてるからだってさ。」
「そうか、カナダじゃ誰も殻は食べないからね」とニック。
「ヨーロッパでも誰も食べないよ」と僕。

Caramba! の日本語ページに翻訳者として貢献してくれているハダアキコから、Dear Friends のある回で僕が書いたフランス語の文法の間違いについて突っ込みメールが来た際に応えたのは

『 僕のおフランス語(女性形ならおフランセ語)はクレープみたいに薄っぺらなんで、きっとアングレーズ(女性形ならアングレーゼ)[注2]の件も君の言う通りなんだろう。』

少し前タイムス紙でフランスの河の名前の性別に関する権威と呼ばれる(きっと学者ぶってウンチクをたれてるんだろう)某イギリス人についての記事を読んだ。

多くの人のように、僕も時々ちょっとふざけて怪しいフランス語を披露してみたくなったりするのだが、強制的に喋らせられるのは息苦しくてとてもダメだ。好きな時に好きな言葉を...今の内に喋っておこう。EU内で漁業、農業、貨幣その他あらゆる物が「共通化」されていく中、共通の言語についてはまだ余り聞かないのは何故?と思ったことはないだろうか。僕が思い付くぐらいなんだから、なんで連中も思い付かないのかな?と思っていたのだが、残念でした、ちゃんと考えてるらしい。ただし人生のスペクトルに灰色しか見えない奴ら、そのオフィスから引きずり出して、何も愉しみのない街角に一文無しで投げ出されるべき奴ら、そう、あいつらはその共通言語は英語であるべきだとは思ってない。

エスペラントの失敗に憤りつつ首をかしげる役人たち(そう、今回もあのカラッポで無為な言語を考えついたのと同じ面々だ)、今度はワロン語[ベルギーの地方の言葉、フランス語の一方言]の内、さらに誰も知らない一方言を基本にした、今後必須となるべき新しき言語、ヨーロッペラペラ[注3]を考案中だとか。既にその件は組織内でかなり進んでおり、そうこう言ってる内にも現実化するだろう。

イギリス人はブツクサ言いながらも真面目に勉強し、その他の国民はそんな取り決めは無視するだろう。そう、ちょっとでも不便を生ずる規則はいつも無視するんだ、みんな。

昨年秋にロシアをツアー中、低迷しているこの国の経済を急きょ立て直す方法を考え付いた。クリスマス用のヤドリギの葉の装飾が一体いくらぐらいするか、値段を調べてみるといい。今日では滅多にお目にかからない物となったこの植物(絶滅寸前だという話)だが、ロシアやウクライナにはこの葉の茂る木がたくさんある。道端にわんさか生えているから、収穫も簡単だ。数百トンものヤドリギの葉、何億ポンドの稼ぎになるはずだ。

数年前我が家の庭の池に酸素を作る植物が増え過ぎた時に、同じような論理でこれを利用して金もうけしようとしたが、この計画はぶざまに失敗した。ボルボに乗せられるだけの量を積み、近くのペットショップに持ちこんだ。その店では1束1ポンド(200円)で売っていたので、もし全部引き取ってくれるなら50%値引きして2万5000ポンド(500万円)でどうだと持ちかけたところ、需要と供給の関係についての講議を聞かされた上、さっさと帰れと追い出されてしまった始末だ。

そうそう、契約の件。事情を理解せずに非難する人が最近いるのでその話をしよう。公演の契約にはメンバーの楽屋およびゲストをもてなす部屋用に必要な物を記載したリストが含まれる。その内容は飲み物や軽食など、僕達自身が公演地から公演地へと運ぶことは不可能なものだ。

相手が誰であっても、権利として何かを要求することはないし、愛しいプロモーターの皆さんにそんなことをすることは決してない。お願いした物に対しては全てコストを支払っているし、大っぴらにドンチャン騒ぎすることはマネージメントからも奨励されていない。

ある日僕にインタビューしたいというある若い記者が、ガーガー怒鳴りながらアンドレッシング・ルームにやってきた。

軽食の乗ったトレイを見て「ゲッ! これ全部あなた1人で食うんですか?」とコメント。

その下品な言動に戸惑いながら「いや...」と答えた。「ゲストが来たら飲み物や食べ物をお出ししたいし、それはマスコミの皆さんにも普通は出すんですけど...(と、ここでようやく気を取り直してハッキリと)でもあんたはもう歓迎される客じゃないし、あんたに食わせない分、他のお客さんが来た時5分長くおもてなしができる。さあ出口はあちらです、どうぞ。」

そのジャーナリストは、自分の理解を超える物は全て大っ嫌いだ!という顔で、僕を睨んでその場を去った。

さて一体EMIに何が起こったのだろうか?

2005年2月8日付 フィナンシャル・タイムズ紙

企業・市場セクションの第1面の見出し:

収益減少のあおりで、EMI株16%下落

全世界で第3の音楽会社グループEMIは、今年3月31日までの現財政年の売り上げが前年に比べ8〜10%の低下、また税引き前の収入は前年に比べ15%の低下だと発表。そのあおりを受け昨日当グループの株価は16%下落した。

この発表の結果、信用調査会社スタンダード&プアーはEMIの信用度を今後詳しく見張り、場合によってはゴミクラスへの格下げを考えているという...

統計的事実: 18か月にわたり世界38か国を回り、何百万人もの聴衆を集めた バナナズ・ツアーの最初と最後にプレイしたイギリスでは計15万枚ほどのチケットが売れた。イギリスのEMIが売ったアルバムの枚数は軽く1万8千を超えるだろう。なのにこれ以上はパープルのアルバムを制作するのは断ると言い、とりつくしまもない。

この決断について連中が我々のマネージメント(および更に侮辱的にも)ドイツのEMIに伝えた理由は完全に僕の理解を超えたものばかりなので、ここで僕自身の言葉に書き換えて説明することはまったく不可能だ。と同時に、果たして連中はこの事を株主に説明しなくてはならない状況に立ったことがあるのかどうかが気になる。1つのテリトリーだけでも(内輪に見積もっても)1億円に上る粗収入を捨て、しかも過去35年に渉り1000億円もの収入(そのほんの一部しか僕達自身の手許には入ってきていないのをお忘れなく)を業界全体に貢献したグループを捨てるということは、株主にとってはまったく訳のわからない方針に違いないからだ。

それともう一つ。数年前インターネットで音楽を売る可能性が出てきた時、業界がそれを拒否したのは、クリエイティブな側で活動している人の殆どにとっては信じられないバカな話だった。周りにいるキレる連中をクビにしてスーツ姿の連中に頼ってばかりいると、こういう羽目になるという教訓だ。あの時IT産業を敵とみなす代わりに融合していれば、今頃はどんな状況になっていただろう? 先程のヒットラーを撃ち殺す話に戻る。多分みんな死んでただろう。どうもありがとうEMI。済んだことは済んだことだ。

もう充分だろう。話を移そう。パープルは今後EMIとは関係ない。そして我らが愛するマネージャー、ブルース・ペインのニタニタ顔から判断するに、新しいレコード契約部門でのバンドの未来は実に明るいものになりそうだが、発表はブルースにお任せする。

だがEMI内部、そして外部でも熱意に満ちた素晴らしい人々は何人もいる。その皆さんにこの場を借りて僕自身から、そして他のみんなからもお礼を述べたい。イギリスだけじゃなく、特にドイツを含む他のテリトリーの仲間たちにひと言: チアーズ、一緒に仕事できて楽しかった。いつでもまた楽屋に遊びに来てくれ。

僕にとっての自分の意見が大切なのは、みんなにとってそれぞれ自分の意見が大切なのとまったく同じことだ。何年も考えた上で自分の意見を決めるのもいいし、最初から「絶対!」という意見もあるだろう。学生みたいに。堅固な意見を持たない学生には未だかって出会ったことがない。

そう、それでいいんだ。

Cheers,
Ian Gillan

Copyright © Ian Gillan 2005

訳者注:
[1] ここでのバレーとはストリップのことだそう。本当はこれは読者に???と思わせたかった箇所だが、日本の読者には特別に種明かしをしてももいいというお許しが出た(笑)
[2] 英語のこと。
[3] 「ヨーロッペラペラ」の原文は "Europrattle"、 実際このヨーロッパ共通言語は "Europanto" という名称で開発中のようだ。

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